2010年08月15日 (日) | 編集
art navigation vol.1
もう、耳にタコの如く繰り返されてきたセリフ。
「現代アートって訳分からん!」
小学生の頃の美術教育のおかげでしょうか、何を描いて(表現して)あるかを自動的に探すようになっているように思えます。
何が描いてあるか分からない抽象画は
「うーん、苦手だ」となります。
石がポツリと置いてある展示を見ると「どういうこと?」と
引いてしまいます。
花や風景や人物を描いてはあるけれど、
見馴れた絵とは随分違っていて、気持ちに摩擦がおきます。
どうでしょうか。
身に覚えがありますか?
けれども、例に挙げた「うーん」や「どういうこと?」や「摩擦」などの感覚は、アートの世界に既に一歩入っています。
アートを素通りしてしまうことは「何も感じない、無視」です。
言葉に出来なくても、否定的な感覚であろうと
何か感じることが第一歩なのだと思います。
ある作品を見た時、何故だか心地良い、気持ちがざらつく、分からないけど癒される、唸りながらじっと見てしまう…。
あなたの自由な感じ方でいいのです。
あまり難しく作家の意図を考えてしまうと
作品とのコミュニケーションがとれなくなるので、頭で考えずに、
ただ素直な気持ちで見るのがいいしょう。
あなたの好き嫌いでいいのです。
分かろうとするより、感じることです。
そうやって見ることに慣れてくると
きっと心の琴線にふれる作品と出逢います。
その時、具象か抽象かはこだわらなくなっていることでしょう。
その道をたどり、アートと出逢った友人の作品をご紹介します。
買った時、作家名も知りませんでした(笑)
(作家名)向山 裕

もう、耳にタコの如く繰り返されてきたセリフ。
「現代アートって訳分からん!」
小学生の頃の美術教育のおかげでしょうか、何を描いて(表現して)あるかを自動的に探すようになっているように思えます。
何が描いてあるか分からない抽象画は
「うーん、苦手だ」となります。
石がポツリと置いてある展示を見ると「どういうこと?」と
引いてしまいます。
花や風景や人物を描いてはあるけれど、
見馴れた絵とは随分違っていて、気持ちに摩擦がおきます。
どうでしょうか。
身に覚えがありますか?
けれども、例に挙げた「うーん」や「どういうこと?」や「摩擦」などの感覚は、アートの世界に既に一歩入っています。
アートを素通りしてしまうことは「何も感じない、無視」です。
言葉に出来なくても、否定的な感覚であろうと
何か感じることが第一歩なのだと思います。
ある作品を見た時、何故だか心地良い、気持ちがざらつく、分からないけど癒される、唸りながらじっと見てしまう…。
あなたの自由な感じ方でいいのです。
あまり難しく作家の意図を考えてしまうと
作品とのコミュニケーションがとれなくなるので、頭で考えずに、
ただ素直な気持ちで見るのがいいしょう。
あなたの好き嫌いでいいのです。
分かろうとするより、感じることです。
そうやって見ることに慣れてくると
きっと心の琴線にふれる作品と出逢います。
その時、具象か抽象かはこだわらなくなっていることでしょう。
その道をたどり、アートと出逢った友人の作品をご紹介します。
買った時、作家名も知りませんでした(笑)
(作家名)向山 裕
