2010年12月12日 (日) | 編集
中国の古代王朝に殷(いん)というのがありました。
(紀元前1600年頃~1046年)
河南省には殷墟っていう遺構があります。
ここは殷王朝の首都があった場所です。
遺跡ではなく、遺構と呼ぶのには訳が。
地下へと広がる世界だったのです。
ピラミッドを地表ごとひっくり返したような造り。
黄泉の国への入口だったとのお話。
殷は、とても高度な青銅文化が栄えていました。
青銅器は、美術的にも素晴らしく、
「いずれ青銅器に戻る」という言葉があるくらい。
画像は、そんな殷の青銅器を小さく模した日本のモノ。
鼎(てい・かなえ)とは、殷時代に使われていた鍋です。
大きく装飾性豊かなものは、
儀式などで神に捧げる料理が作られました。
とんな味だったのでしょうねぇ。
銀製金象嵌方鼎
高さ3.1cm

(紀元前1600年頃~1046年)
河南省には殷墟っていう遺構があります。
ここは殷王朝の首都があった場所です。
遺跡ではなく、遺構と呼ぶのには訳が。
地下へと広がる世界だったのです。
ピラミッドを地表ごとひっくり返したような造り。
黄泉の国への入口だったとのお話。
殷は、とても高度な青銅文化が栄えていました。
青銅器は、美術的にも素晴らしく、
「いずれ青銅器に戻る」という言葉があるくらい。
画像は、そんな殷の青銅器を小さく模した日本のモノ。
鼎(てい・かなえ)とは、殷時代に使われていた鍋です。
大きく装飾性豊かなものは、
儀式などで神に捧げる料理が作られました。
とんな味だったのでしょうねぇ。
銀製金象嵌方鼎
高さ3.1cm
